多くの大人は後輩に対して、
「もっと本を読め」
「まずみなさん、毎日本を読みましょう」
「一ヶ月に一冊くらいをめどに読みましょう」
と声高に主張します。
これには正しい部分と間違っている部分があります。
末法を教えるセミナー
昔私がサラリーマンをしていた頃に、とあるセミナーに参加しました。
そのセミナーは何も小規模のものではなく、
名の知れた一流企業なども参加する程のものでした。
そのセミナーの中で講師の方がこう主張しました。
「みなさん本を読んでますか?」
「月に一冊以上必ず読んでいる、という方、いますか?」
数人の手が挙がりました。
そして講師の方はこう言いました。
「まずこれは大前提です。本は月に一冊必ず読みましょう。」
「本も読めない様では良い結果は出せません。」
と。
私はその時「末法」という言葉を思い出しました。
宗教において、教祖は複雑な教えを弟子達に説きます。
弟子達は教えを正しく理解し実践し、高みへと近づきます。
しかし弟子ではなく一般の方々に教えを説く時、
一人一人に説明をして時間をかけて、とやっていると
宗教が広まることはありません。
そこで経典を作ります。
経典を読んで理解してもらい、実践してもらいます。
意識の高い方ならこれでOKですが・・・そうじゃない方は、
「なんだ、読むのなんて面倒だよ。」
「文字を読むことができないよ。」
と突っぱねてしまいます。
そこで弟子達は「この言葉を唱えるだけで良いんだよ」と
ごく単純に簡略化したものを教えます。
直接の教え
→経典
→言葉を唱えるだけ
と世間に浸透させるため簡略化していく内に、
徐々に教えそのものが理解されなくなります。
これを「象法」や「末法」と呼びます。
言葉を唱えるだけで、弟子達と同じ徳を得られる訳ではないでしょう。
それは「真似をしている」だけに過ぎません。
本質を理解せずに真似だけしても何も得るものはありません。
本の例もこれと同じです。
「本を読め、そうすれば成功する。」
これは宗教の「象法」や「末法」と同じです。
本質を理解せずに真似をしているだけに過ぎません。
本から得られる知識や考え方というのは多いでしょう。
それで成功する人がいるのも勿論です。
だからといって本を読んだから成功するわけではないのです。
「本を読んだ人がいた」→「その人が成功した」
この現実を
「成功するためには」→「本を読めばいい」
このように転換している訳ですね。
もちろん本を読むことは悪いことではないですが、
「絶対にやらなければならない」ことでもないですし、
「これをやったから成功する」というものでもありません。
当たり前の話ですね。
本質を理解させずに形だけを真似させるという行為は、
「象法」や「末法」と同じです。
成功者の真似をすれば成功する訳ではない
この勘違いはとても多いです。
「皇居の周りをランニングする人は年収1000万以上稼いでる高所得者が多い」
のだそうです。
これはどうやら事実らしく、TVなどでアンケート?をしていました。
そこでTVは言います。
「あなたもランニングをはじめて、年収UPを目指そう!」
冗談の様ですが、本当です。
本も出ているそうです。「ランニングをして高所得を目指す」と。
他人伝いに聞いたのですが、いかにももっともらしい理屈を捻り出しているそうです。
「ランニングを定期的にして、健康な体を作ることで、何事にも前向きになれる」
などなど。
そりゃ健康体にはなれるのかもしれませんが・・・
「ランニングしてる」→「お金持ちになれる」
という方程式が成り立ってしまったら、明け方の歩道は大渋滞です。
そんな訳ありません。当たり前の話です。
こうして説明すると誰もが納得してくれるのですが、
実際には簡単に「あれ?そうなのか?」と思ってしまうのです。
こうした「成功者の真似をする」手法は世の中に山ほどあります。
「成功者は本を読む」
「成功者はランニングする」
「成功者は早起きする」
「成功者は酒を飲まない」
「成功者は座禅を組む」
「成功者は貯金をしない」
それらは確かに事実なのでしょうが、
それを真似したからと言って、成功者になるわけではありません。
能動的な行動こそが成功を生む
本を読むことも良いでしょう。
ランニングをすることも良いでしょう。
しかしそれがあなたの成功を担保するものではありません。
当たり前の話です。
本当に成功したい、幸せな人生を歩みたいと思うなら、
自分は今、何を目的に、何をすべきなのか。
それを能動的に考えることが必要です。
その方法はまた今度。
今回は上述の勘違いについてでした。
あなたが成功者の真似だけをする存在にならない様に願っています。
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